「PULUTO」
神を継ぐ者~浦沢直樹「PULUTO」
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これだけコンビニにもキオスクにもマンガが溢れかえっている今日、欲しいマンガを手に入れる事はそう難しくない。発売されたばかりの人気作品ならなおさらだ。
でも、ぼくは三軒の大型書店を回った。小さな店を入れれば、六店舗にはなるだろう。どこの店でも売切れだった。
一体、どのような本がそのような存在になるだろう。それが浦沢直樹の「PULUTO」だ。
この作品は、かのマンガの神様、手塚治虫の「鉄腕アトム」から、「地上最大のロボット」というエピソードをモチーフに書き下ろしている。ぼくも子供の頃、やはりこの物語をテレビで見たし、マンガでも読んだ。
プラモデルでは作中に出てくるノース2号も買ってもらった。確か、森のようなところで、四つん這いになった雄姿が描かれたパッケージだったと記憶している。
原点のあらすじは、ある金持ちが、最強のロボットを作ろうとして、「プルート」という巨大な角が二本生えた、真っ黒なロボットを作る。
これは一見横山光輝的デザインだが、手塚作品なので当然自律して、自分の心を持っている。つまり、金属で出来てはいるが、一個の人間だ。
プルートは、最強を証明するべく、世界でトップクラスと言われる、森林災害対策用、戦闘用、格闘戦用、教育用、警察用などの、六体のロボットを襲撃し、破壊してゆく。
その中にはアトムも入っていて、彼にも挑戦が届き、果し合いの過程でウランちゃんとプルートの間に感情の交流が芽生えて……というような話だったはずだ。
この話を、浦沢は「セブン」のようなサスペンスに仕立てている。次々と起こる謎の連続殺人(殺ロボット)事件。被害者の頭に突き刺された角を思わせる二本のアーティファクト。一体なぜ? そして犯人は? といった形態だ。
浦沢直樹は、ご存知の通り、書けば当るというくらいの作家だ。しかも筆が早いので有名で、並行連載をこなしては、週に何日かはギターを弾いて暮らすという。
「YAWARA!!」と「パイナップル・アーミー」、「HAPPY!」と、「MASTARキートン」、「MONSTR」と、「20世紀少年」など、並行する作品の多くは、まったく毛色が違う。そして、その内の半分は、ミステリー作品だ。
「パイナップル・アーミー」、「MASTARキートン」で、原作者からノウハウを盗み、「MONSTAR」で完全に独立して浦沢節を確立したかのような作者は、当然「PULUTO」もその文脈で描いている。
1エピソードごとに関して言えば、上記3作および「20世紀少年」、「PULUTO」は、まったく同じつくりの作品だ。綺麗に雛型にはまっている。縦糸の謎の事件を追いながら、調査者が行く先々、あるいは事件が通る先々で、ヒューマンなドラマが展開される。
「PULUTO」一巻において完結してるエピソードとして、プラモデルの思い出もあるノース2号の物がある。
ノースは戦闘用ロボットで、阿修羅像のごとく腕が何本も生えている。その全てが武器だ。
浦沢版では彼は兵役を引退し、執事に転職している。そこで偏屈な天才作曲家の老人に仕える。
盲目の作曲家ははじめ、彼を拒絶する。戦闘機械などに、音楽は分からないから、という訳だ。
だが、実はそれが、スランプに陥った苛立ちからの八つ当たりだと判明してくる。スランプの原因となっている人間への憎悪は、ノース2号によって解かれて2人は和解。穏やかな生活が起きたころ、プルートが現れ、ノースを「殺害」する、という次第だ。
これとほぼ同じフォーマットのエピソードは、何度も浦沢作品において語られて来ている。確執と許しのテーマと言えばいいだろか。
対して、手塚治虫というのは、許さない作家だ。悪役は必ず滅びるし、接触した異文化は、必ずカタストロフを迎える。最低限、確執が解かれるにしても、その時は片方が死ぬというパターンが多い。つまり、「けっして生きては許さない」という次第。
この辺は手塚の人格もあったのだろうと思う。仕事での付き合いがあった人間、また、ライバルのマンガ家などに対して、手塚は決して許さない人だったという。何もそこまでと言うくらい、攻撃して手を緩めなかったそうだ。
中には、当人の葬式においてまで悪口を言ったという話もある。余談だがこれは、手塚が亡くなった時の宮崎駿に繰り返される。
オリジナル・プルートにおいても、プルートは改心したとたん、あっけなく滅ぼされる。まるで何の意味も無くだ。
鉄腕アトムにおいて、機械が人間のように描かれているのがあたかも作者の優しさのように語られる事があるが、もしかしたら逆ではなかろうか? 手塚にとっては人間など機械や動物と同じであって、格別の感情移入などなかったのかもしれない。
そんな、「許さない」手塚に対して、浦沢は「許す」事を描いてきた作家だ。
彼の作品に描かれるのは、貧民やこそ泥、犯罪者やサイコ女だ。また、多くの主人公側の人間も、殺人経験などの罪を背負っており、苦しみながら生きている。だからこそ、「救済」の物語たるのだ。
旧約聖書においては、神は恐ろしい物として描かれる。人々を裁き、罰を下し、時に生贄を要求する。
同じ神が、新約聖書においては、慈悲深く、「赦す」物として描かれる。
これこそまさに、「PULUTO」なのではなかろうか。浦沢直樹という希代の名手が、いかに原点を反転させ、全てに救済を与えるのか、この、新しい創世の神話のこれからが、ぼくは楽しみでしかたがない。
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